探求三昧 by 百瀬直也 - 地震前兆研究家の地震予知・地震予測関連ブログ

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沖縄慰霊の日のお祈り

今日は沖縄慰霊の日
沖縄戦が終結した記念日だ。
終戦60周年なので、沖縄ではさまざまな関連行事があったことだろう。
今日11:45、昼休みの15分ほど前に常駐先を抜け出し、早足で西へ歩く。
目的地は、深川・富岡八幡宮
慰霊の日にお祈りする場所をダウジングで伺ったところ、この神社へ行けと出た。
木場駅の前を通って更に西へ歩き、12:00ちょうどに富岡八幡宮の島居をくぐる。
ここは個人的に思い出がある神社で、以前にインドネシアの派遣が終わって帰国した頃にバリ・ガムランのグループに参加していて、この神社の境内でよく練習をしたのだ。


手水舎で手と口を注ぎ、本殿の前でお祈りをする。
まず自己紹介をし、いつものとおり宇宙全体の平和を祈り、この神社にお参りされる方々と地域の方々の幸せと霊的成長を祈る。
そして、沖縄戦で亡くなられた日本軍、米軍、そして住民の方々の慰霊と霊的成長を祈る。


本殿の前に、「神話みくじ」というのが置いてある。
変わっているところは、「2枚おとりください」とあること。
100円玉を入れて手を合わせ、「今の自分に最も合ったおみくじをひかせてください」と祈念して2枚取る。
一度に2枚も取るおみくじなんて、生まれて初めての体験だ。
最初に出たのが62番の「吉」で、次が5番の「吉」。
なるほど、おみくじというのは何回引いても同じのが出るのか。


2枚のおみくじを書き写しておく。

1枚目:62番・吉
遠き彼方を見やりては、溜息漏らす、その暇に、己のなすべきことのみを、一つも行い顕すべし。無駄に嘆いて、時の過ぎ、気付きしときには、残り少なし。(以下略)
2枚目:5番・吉
人間心ではできぬことを、神の心でなければ神の声を聞かねばなせぬことを、これからこの声を、ことばを聞きし者は、行ってゆかねばならぬ。恐るるな。神は人を罰せぬ。神は人をその力によりて滅ぼすことはせぬ。神は人を神の子を再び地上に生かし、復活させたまい、そして人が、人として、神の子として再びその命を魂を、再びこの世に再現させんためなり。


そうか、頭でばかり考えていてはいけなくて、行動に移せということかな。
なんだか1枚目と2枚目はつながっているようにも思えるな。
神に導かれるままに、神の声のままに己の本務とするところを為せ、ということか。


境内のベンチに腰掛けて、おみくじを読み終えて、さて失礼しようと思って歩き出すと、雨がポツリポツリと降り出した。
こういうことは、よくあること。
入口近くに、御神輿を収めた建物があり、キンキラキンの巨大な御神輿を見ると、佐川急便グループの会長の名前と供に「奉納」と書かれている。


ちなみに、八幡神社といえば、ヘブライ語ユダヤを意味する『イェフダ』が『ヤハダ』→『ヤハタ(八幡)』になったという説がある。
つまり、「ユダヤの神」ということになる。
全国に3万社とも4万社あるとも言われる八幡神社に八幡さまとして祀られているのは、品陀和気命、つまり応神天皇だ。
八幡宮は、元は渡来民である秦氏が祀った神社だと言われている。
私の先生によると、応神天皇の時代に、ユダヤ人たちが大陸から日本に流れてきたという。
それは、秦氏だったのだろうか。
ユダヤといえば、なぜ私は前の会社でイスラエル製のシステムを扱い、イスラエルへ3回も研修で行けたのか。
私の先祖の血に、イスラエルの民の血が少しでも混ざっているとしたら…。


沖縄といえば、かの島々もまた古代イスラエルと無縁ではない。
即座に思い出すのが、聖書に書かれた古代ユダヤの習慣と似通っている沖縄のシマクサラシの風習だ。
詳しくは、私の『聖地巡礼ファイル』シリーズを読んでください(「古都に隠された十字架・前編」)。


だから、富岡八幡宮なのか。
私の中で、ジグゾーパズルはまだまだ完成しない。


http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/SJF/
富岡八幡宮へようこそ





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