探求三昧 by 百瀬直也 - 地震前兆研究家の地震予知・地震予測関連ブログ

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日本人のルーツ

MIXIのSilent Rootsさんの日記で、かみんちゅネットワークの聖地巡礼から帰宅したとあった。
比嘉良丸さんたちと周った聖地には、今年私が何度も行かされた、 鹿島神宮香取神宮、大洗も含まれていた。
巡礼の目的は、「今回の巡礼の目的は自分を見つめるためと、日本人(自分)のルーツを求めて。
アイヌと古くから封印されてきたものと私たち現代人との和合」だという。
アイヌや沖縄の歌を歌って踊ったそうだ。


私が今年夏から秋にかけて何度も茨城へ行かされて、お祈りの目的はというと、「和人と蝦夷アイヌ)との民族同士のカルマを浄化すること」だったりした。
良丸さんたちが同じ聖地で同じような目的で祈ったことを知って、感慨深いものがある。
そして、私一人では力不足だったかもしれないところを補ってくれたという点で、ありがたいと思う。


良丸さんが聞かされているところでも、やはり「アイヌ」は「日本人のルーツ」と大いに関係があるということなのだろうか。
出雲族が大陸から日本に渡って来た頃には、縄文人(アイヌ)との間には、それほど激しい戦いはなく、棲み分けがなされていたのかもしれない。
だが、「和人」たちが渡ってきてからは、そうはいかなかった。
和人と出雲族、また和人と蝦夷(縄文人=アイヌ)たちが、特に東日本で激しい戦いを繰り返し、多くの命が失われた、多くの血が大地に染み込んでいっただろう。

民族の坩堝(るつぼ)

話は変わって、いまソフトウエア開発で常駐している品川の某社では、私の席の左隣に北京から来た中国人SE(Software Engineer)が、その更に左隣には大連から来た中国人が座っていて、右隣には韓国人がいる。
机の向い側には、やはり二人ほど中国人が座っている。
大勢の人々が働くそのフロアーには、インド人らしきSEの姿も見える。
彼らが中国人とか韓国人だと言われれば、たしかにそうだと思うが、言われなければ、日本人と信じて疑わないかもしれない。
それぐらいに、外見の違いがないということ。
言い換えれば、「純粋な日本人」の中には、中国人や韓国人のような顔をした人間が多いということだろう。
それにしても、まさに国際的なプロジェクトだ。
考えてみると、古代の日本も、こういう感じだったのではないか。
中国人よりは、朝鮮半島(韓国人の前でこの言葉は禁句で、「韓半島」と言わなければならない)からの渡来者がずっと多かっただろうが。

天孫族が来る前に居た人々

古代の日本には、さまざまな民族が渡ってきて、混血し、日本人が形成されていったのだろう。
その頃に居たと思われるのは…


私の先生によると、インド人と「ユダヤ人」は、たしかに渡って来た人々がいたと言っている。
平安時代頃の京都では、すでに大半が渡来人だったとも言われている。
その中には、ペルシャヘブライの民もいただろうか。
ちなみに、神武天皇が即位したという皇紀元年(紀元前660年)というのは、ちょうど古代イスラエルの「失われた十支族」が囚われられていたアッシリア王国が滅亡して、彼らが(恐らく)理想の地を求めて東へ東へと旅立って間もない頃だった。
これは偶然のことだろうか。
天皇家はいったいどこから来た人々なのだろうか。
これが最大の謎だ。

あなたはどこ系?

考えてみると、私の容貌も、あまり「日本人的」ではない。
家内の両親は、私の写真をはじめて見て「この人、ほんとに日本人?」と聞いたそうだ。
ジャワへ行けば、(日焼けしていれば)インドネシア人に間違われ、バリへ行けば、バリ人と思われる。
東南アジア系だとよく言われる。
また、ある中国人からは、南京へ行けば、私のような顔をした男性がけっこういるという。


うちの先祖はいったいどういうところから来たのだろうか?
まず、父方から考えてみる。
百瀬家は長野県上諏訪に先祖代々住んでいた。
だが、古い系図が残っているわけではないので、数代遡れば、その前はわからなくなる。
親戚では「うちの先祖は巴御前」と言っているそうだが、その根拠はわからない。
半分伝説上の女性なのに、その子孫がいるかどうかは、あやしい。
諏訪からちょっと北の方の松本市の付近では、百瀬の苗字が非常に多い。
松本市でも非常に多く、電話帳データでは、なんと百瀬の苗字がトップで1,100件ほどある。
ちなみに諏訪市は意外と少なく、五十数件しかない。
松本市の西にある波田町でも百瀬の苗字がトップで、260件ほどいる。
ここは昔は波多郷といって、秦氏と関係があるかもしれないところで、かつて他の苗字から百瀬に改姓したところが多いという。


長野県は高句麗から渡来した人々も多く住んでいたところだ。
ちなみにうちはかつては士族だったが、苗字と丸に上の字の家紋からすると、源氏系のようだ。
ちなみに、源氏というのは伽耶新羅)からの渡来人によって形成されていき、百済高句麗系の人々が平家になったという説がある。
また、祖父と曽祖父の二代に渡って養子に入ってきた家は多氏系氏族である可能性がある。
というわけで、秦氏にしても高句麗にしても、朝鮮半島からの血が入っている可能性がある。
少なくともいえるのは、頬骨が張って一重まぶたで扁平な顔をした方モンゴロイド系ではないだろう。


次に母方を見てみる。
母の先祖のルーツは、宮城県の仙台近くにある漆保(ウルシポ)というところにいたらしい。
母は非常にエキゾチックな顔立ちをしているが、アイヌ系でもなさそうで、いったいどこから来たのだろうか。


こうして、自分の祖先がどこから来たのかを探求することは楽しいものだ。
少なくとも、北方モンゴロイド系か南方モンゴロイド系かぐらいは、顔立ちから推測できるだろう。





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