探求三昧 by 百瀬直也 - 地震前兆研究家の地震予知・地震予測関連ブログ

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大洗聖地巡礼〜オトタチバナヒメさま

昨日(2009/04/17金)の夜に、週末に聖地巡礼に行くべきかをダウジングで伺った。
すると、翌日に行くようにとの答え。
地図上で出たところは、茨城県の大洗(おおあらい)だった。
いつものルート、つまり弟橘比賣(おとたちばなひめ)神社→大洗磯前(いそさき)神社→大洗諏訪神社と廻るようにとの指示。


オトタチバナヒメさまに呼ばれたのかな。」
でも、なぜこの時期に?
そう思って、ネットで調べると、なんと弟橘比賣神社の「天妃祭」が4月第3日曜日にある。
今年は、それが今週の日曜日(4/19)だ。
昨日の記事で、自分は「裏方」だと書いた。
お祭りの前日に、弟橘比賣神社へ行かされて祈るというのは、まさに裏方の仕事だろう。
家でお祀りしている神さまのお祭りが、つつがなく行なわれますようにと祈るようにということだろう。
私の聖地巡礼では、非常によくあるパターンだ。
こういうことが繰り返し起きるので、ペンデュラムがデタラメに振れているわけではないとわかるのだ。

弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)さま

このブログに出逢って間もない人もいると思うので、オトタチバナヒメさまと弟橘比賣神社との出逢いについて、かんたんにまとめてみたい。
まずは、オトタチバナヒメさまについての一般常識的なことから。
弟橘媛命(日本書紀)、弟橘姬(古事記)、乙橘媛命、弟橘比売(比賣)命、大橘比売命などと表記される。
日本神話に登場するヤマトタケルノミコト日本武尊)の后(きさき)だ。


オトタチバナヒメさまについては、日本書紀古事記常陸国風土記に書かれている。
常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』は、奈良時代常陸国*1の地誌として書かれたものだ。
ここで、ヤマトタケルさまは「倭武天皇(やまとたけるのすめらみこと)」となっている。
オトタチバナヒメさまの方は、「橘皇后(たちばなのおおきさき)」だ。
天皇皇后としているのはこの文書だけなので、史実性は疑わしいが。


ヤマトタケルノミコトは、景行天皇の皇子で、仲哀天皇の父とされている。
だが実在性が疑われていて、そういう人物は存在しなかったと考える歴史家もいる。
4世紀から7世紀頃までの複数の大和の英雄の業績をまとめた架空の人物と考える人もいる。
そうすると、その后であるオトタチバナヒメさまも、実在を疑う見方もあるだろう。
だが、穂積氏忍山宿禰(ほづみのうじのおしやまのすくね)の娘だということまで書かれているからには、実在の人物だったのではないかと思う。

オトタチバナヒメさまの入水

この女神さまについてよく知られた話は、なんといっても、その最期の逸話だろう。
ヤマトタケル尊が東征に赴いた時に、オトタチバナヒメも同行した。
そして走水(はしりみず)の海*2に来た時、ヤマトタケルはあることで海神の怒りを招いてしまう。
海は荒れ狂い、船で先に進むことができなくなった。


そこで、海の神の怒りを解くため、オトタチバナヒメは、ある行動をとった。
「私は夫である皇子に替わって海に入水します。どうぞ皇子の東征を護らせ給え」と念じ、海に身を投じた。
すると波が穏やかになり、船を進めることができるようになった。
その後、オトタチバナヒメが持っていた櫛が海岸に流れ着いた。
現在の東京湾の周囲に、こゆるぎ、袖ヶ浦、袖ヶ浜などという地名が多く見られるが、すべてオトタチバナヒメの帯や袖が流れ着いたという伝説によって付けられた地名だ。


美智子皇后さまは、この話を子供の頃に読まれ、大変感銘を受けたという。
そのことについては、数日前に書いた下記の記事で触れている。


こちらのページで、古事記の原文が読める。

弟橘比賣神社(おとたちばなひめじんじゃ)との出逢い

オトタチバナヒメさまと弟橘比賣神社との出逢いについては、話せばかなり長くなる。
だが、ここでは要点のみを書いておく。


2005/10/15(土)〜16(日)に、一泊二日で茨城県聖地巡礼した。
その初日に、はじめて天妃(てんぴ)神社(弟橘比賣神社)に巡礼した。
社殿も境内も、荒れ放題といった趣だった。
「これでは女神さまがかわいそう」
今日は時間がないが、こんど来て掃除しに来ようかなと考えた。
せめて参道に散らばる小枝だけでも脇へどけようとした時だった。
どけた枯枝の下で、ガサガサッと動いたものがある。
見ると、それは体長3cmほどの磯ガニだった。


「なんでこんなところにカニが…」
那珂川の河口から100メートル弱陸へ入ったところの、高い丘の上にある神社だ。
いままでいろんな「神遣い」が現れたのを見てきたが、さすがにカニなんて初めてだった。
1週間後の2005/10/23(日)のことだった。
再度大洗へ行くようにとダウジングで指示された。
メインの目的は、弟橘比賣神社の掃除だ。


1時間半ほど掃除をしたが、それでも全部を終えられなかった。
仕方なく神社を出て、バス停でバスを待っていたときだった。
「オトタチバナ…この神名は、龍宮乙姫と関係あるのだろうか…」
そう考えていたところへ、前方から赤トンボが一匹飛んできた。
そして、そのトンボなんと、私の右肩にとまった。
「これはオトタチバナヒメさまがお礼に来られたのだろう」
そう思ったものだった。


その1ヶ月後の2005/11/20(日)のこと。
掃除の続きをやるようにとの指示が出た。
その1〜2週間前から、なんとなく呼ばれているような気がして、心がザワザワして落ち着かなかった。
そこで、その日は他の聖地巡礼はせず、掃除に専念することに。
だが、神社に着くと意外なことに、境内で誰かが掃除をしてくれたようで、すっかりきれいになっていた。
それでも30分ほど軽く境内を掃いた。


掃除が終わって、写真を撮ろうとしたときのことだった。
瀕死の赤とんぼが、参道の上に横たわっていた。
さきほど掃いたばかりのところなのに、飛べないトンボがどうやって出現したのか?
このトンボを見て、すべてを悟った。
女神さまが苦悩されているのだろうと。
あまりにも神社が荒れているので、なんとかしてほしいということだろうか。
ちなみに、カニもトンボも「龍神系」で、龍神の遣いだと思われる。
この場合は、龍神系であるオトタチバナヒメさまの神遣いだろう。


翌年の正月7日(2006/01/07)のことだった。
こんどは、オトタチバナヒメさまを祀る観音崎の走水(はしりみず)神社へ巡礼するよう指示が出た。
その2日後には、同じ女神さまを祀る下記の2つの神社へも巡礼した。

その年の2006/05/03(水) には、三浦半島の我妻神社へ巡礼した。
小さな祠だけがある神社でお祈りを終えた直後に、道端でまたもやトンボの死骸を見た。
オトタチバナヒメさまだ!」
すぐに直観した。
まだ女神さまは苦悩されているのだ。
この神社の崇敬者が増え、社殿などが修復されますようにと、一生懸命祈った。


その2日後(2006/05/05)、走水神社を再度訪れた。
オトタチバナヒメさまが犠牲となった伝説の地に建てられた神社だ。
この神社の御祭神であるオトタチバナヒメさまとヤマトタケルさまを家でお祀りするために、神札をいただいて来るようにとの、守護霊(守護神?)からの指示だった。
おそらく、弟橘比賣神社は無人で神札もないから、走水神社ということではないか。
50歳の誕生日のその日から、この女神さまとの本当のご縁ができたのだった。


その翌年の1月(2007/01/20)に、大洗の弟橘比賣神社を訪れて、掃除をした。
3月までの予定で本殿の修復工事が行なわれいていた。
石段と石畳が新しくなっていた。
自分の祈りが届いたのかと、嬉しくなった。
その年の5月5日(2007/05/05)に、再度その神社へ巡礼した。
神社本殿などの改修工事は、終わっていた。
そして石段と参道の石畳も新しい真っ白なものになり、神社全体が小奇麗になっていた。
自分が裏方で祈ってきたのが、少しは役に立ったのかと思ったものだった。
神社は今では海部の散歩コースに取り込まれ、訪れる人も多少は増えたかもしれない。
改修工事も、自治体からお金が出たのだろうか。

大洗へ

2009/04/18(土)
半年ぶりで、大洗へ向かう。
10:00上野発のスーパーひたち号に乗り込み、水戸から鹿島臨海鉄道線に乗り換えて、大洗駅へ。
駅前で、循環バス「海遊号」に乗り込む。
約10分で、祝町(いわいまち)バス停で下車する。

弟橘比賣神社(おとたちばなひめじんじゃ)

12:00ちょっとすぎに、神社に到着。
神社の鳥居の脇に、「弟橘比賣神社」の立派な石碑が建てられていた。
いままでは、訪れた人が神社の名前もわからなかった。
明日の天妃祭に備えて、氏子の人々が掃除をされているだろうと思って、その手伝いでもするつもりだった。
石段を上って境内を見ると、すっかり掃除が終わっていて、綺麗になっている。
午前中にでも掃除をされていたのだろう。
まだ完全に散っていない里桜(?)の花びらがパラパラと落ちている。
ここに来るのは、これで8度目くらいだ。


下の写真は、2005/10/18に初めて訪れた時の境内。


下の写真は、今回巡礼したときの境内。


さて、やることがなくなってしまった。
いつものように、世界平和の祈りに加えて、氏子と周辺に住む人々が幸せになりますようにと祈る。
また、明日の天妃祭がつつがなく行なわれますようにとも。
そして、地震沈静の祈りも。
祈りが終わって、しばらくボーッと境内を眺める。
「自分のすべきことはひとまず終わったのかもしれない」
そう思って、感慨深いものがあった。


弟橘比賣神社は、元禄3年に徳川光圀公が明の高僧心越禅師が持ち来った媽祖像を祀ったのが始まりだ。
媽祖(まそ)さまは、昔の中国に実在したシャーマンのような女性だった。
水戸黄門」として知られる光圀公が、中国の海の女神さまを祀った神社だったのだ。
だが、その後の徳川家の当主が神像を下げて、オトタチバナヒメさまをお祀りするようになった。
その後、近くに祀られていた豊御食津大神(トヨミケツノオオカミ)の神社を合祀して今に至っている。


この神社は、かつては天妃神社と呼ばれた。
「天妃(てんぴ)」というのは、媽祖さまの別称だ。
地元の人たちは、いまでもそう呼んでいるようだ。
祭神はオトバチバナヒメさまに替わっても、今でも「天妃祭」の呼び名で祭りが行なわれるのだろう。
いつも、お祈りするときに、媽祖さまの名を加えるかどうか迷う。
だが、神像が下げられた今でも、媽祖さまはこの神社に鎮座されているのかもしれない。
これからは、「オトタチバナヒメさま、トヨミケツノオオカミさま、そして媽祖さまの御神徳を賜りまして」と唱えることにしよう。


祈っている時に「神の力」を感じた。
初めてこの神社でお祈りしたときには、ほとんど感じられなかった。
「人の力」(崇敬者たちの信仰)が強まれば、神の力も強くなる。
そういうものではないかと思う。
やはり荒れ放題の神社では、神の力も強くはなれない。
長いこと、こうなることを望んでいたのだ。
とにかくこれで、自分の役割はひとまず果たした。



【新設された碑文に写り込んだ自分】


ところで、天妃祭は、なぜ4月第3日曜日なのだろう。
日曜日に行なわれるようになったのは、近年のことだろう。
どこの神社でも事情は同じで、平日だとなかなか氏子が集まらない。
中国では、媽祖の誕生日が旧暦3月23日だと信じられている。
新暦で換算すると、ちょうど今頃がその時期なのだろう。
もともとは、媽祖さまの生誕記念のお祭りだったのだ。


弟橘比賣神社

大洗磯前神社(おおあらいいそざきじんじゃ)

次のバスまでまだ1時間あるので、大洗磯前神社へ歩くことに。
2kmちょっとの道のりを歩く。
途中、海沿いを歩き続ける。
海ではサーフィンを行なう若者たちがたむろしている。
このあたりは波が荒いので、サーフィンには向いているのだろう。
大洗は、かつては「大荒」と書いたのかもしれない。
30分後に、神社の前に着く。


90段ほどの急な石段を上り詰めると、広い境内に出る。
バスの中でも境内でも、「いそまえじんじゃ」と呼ぶ人が多い。
私よりもずっと年配の人たちでさえ、「ここはいそまえ神社といってね」と、同伴の人に説明したりしている。
磯前を「いそざき」と正しく読める人は、あまり多くないようだ。
大洗は昔からの漁港で、神社もいろいろとある。
その中で、もっとも知られたのがこの神社だろう。
祭神は、大己貴命(オオナムチノミコト)と少彦名命スクナヒコナノミコト)。
大己貴命は、大国主命オオクニヌシノミコト)と同一とされる。



拝殿でお祈りした後で、裏手へ廻る。
ここは末社が多く、いろんな神さまが祀られている。
すべての神名を書くのは大変なので、境内の説明書きの写真を載せておく。


一つ一つの祠の前で祈っていて、特に強い力を感じたのは、「静神社」だった。
祭神の3神のうち、皇室が祖神として祀る最高神である高皇産霊神タカミムスビノカミ)さまの力を感じているのだろうか。


境内でおみくじを引く。
5番の「大吉」が出た。
正月の頃と較べると、やはりだんだんと運気が上昇しているようだ。


一仕事片付いた?

バスに乗って、次の目的地である大洗諏訪神社のバス停で降りようとして、乗り過ごしてしまった。
バスは次の大洗駅へ戻ってしまった。
仕方なく、今回はお許しいただくことに。
仕事の疲れがたまっているのと、このところ頻繁に聖地巡礼していないので、体力が落ちているかもしれない。
水戸まで戻り、高速バスで東京へ帰った。


礼記を書き終えてから気づいたのだが、弟橘比賣神社に初めて巡礼したのが2005/10/18で、ちょうど3年半前のことだったのだ。
明日の天妃祭りが、盛況の内に終わると良いのだが。
正直言って、たまには神社のお祭りに参加してみたい。
だが、「裏方」だから仕方ないのだ。
弟橘比賣神社が修復されてからは、私の前に「神遣い」が現れなくなった。
あの神社に限っていえば、それは良いことだろう。
もうあまり、女神さまが「訴えること」がないということだろうから。


だが、これで完全に一件落着といえるかどうかは、まだ自信がないところがある。
実は今日、弟橘比賣神社を出た後で、川辺でカラスの死骸を見たのだ。
あれが何の意味もなければ良いのだが。


なぜ私は、この神社に頻繁に巡礼させられるのだろうか。
それは、オトタチバナヒメさまと媽祖さまという2柱の女神さまの両方に深いご縁があるからなのではないか。
これからも、このご縁を大切にしていきたい。

大洗駅でレンタサイクルもある。


天翔ける日本武尊(上)

天翔ける日本武尊(上)

天翔ける日本武尊(下)

天翔ける日本武尊(下)

*1:現在の茨城県のほとんど

*2:現在の神奈川県・三浦半島浦賀水道

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