探求三昧 by 百瀬直也 - 地震前兆研究家の地震予知・地震予測関連ブログ

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5月5日生まれは…

今日は53歳の誕生日。
1956年5月5日(土)6:21に東京都の日赤産院で生まれた。
mixiのトップページを見ると、「誕生日おめでとうございます。素敵な1年になりますように」と表示されていた。
mixiに入っている人でも、もちろん自分の誕生日を設定していなければ、誕生日になってもこの表示を見ることはできない。


さきほど百太郎をなでたら(クリックしたら)、俳句を詠んでくれた。
「この縁起 設定しては 生まれかも」
意味不明。


端午の節句生まれは縁起が良いかというと、そうでもないかもしれない。
古代中国では、5月5日に生まれた子供は縁起が悪いとされた。
中国戦国時代のBC3世紀に、孟嘗君(もうしょうくん)という政治家がいた。
孟嘗君は死後に付けられた諡(おくりな)で、生前の名は田文だった。


田文が生まれたのは、厄除けの日とされていた5月5日だった。
「厄除けの日に産まれた子供は、親に害をなす」という迷信があったために、父である田嬰(でんえい)は、わが子を殺そうとした。
だが母は密かに田文を匿い育て、後に立派な政治家になった。

生まれる前の話

私は、出産予定日よりも2週間も遅れて生まれた。
大きくなりすぎていたせいもあってか、難産だったという。
私の出生に関しては、面白い話がある。
下記の記事で書いている。
ちょっと長いが、とてもとても不思議な話だ。


この話を出口(仮名)から聞いたときに、その男の性格がいかにも自分らしいなと思った。
その3人の中でいちばん遅く地上に生れ落ちていった男は、やはり私なのかもしれない。
その話が、本当に「事実」だとしたら、だ。

御柱

私が生まれた日には、ちょうど諏訪大社御柱(おんばしら)祭が行なわれていた。
御柱祭は、12年に2度、寅年と申年の年にだけ行なわれる。
私は申(さる)年生まれだ。
上社の方の、建て御柱祭の最中だった。
上社本宮か上社前宮のどちらかに、御柱が建てられる日だったと思われる。
その日の朝、日の出直後に生まれた。


先祖のルーツがある諏訪のお祭りの日で、しかも後ろに諏訪の神さまがついていると言われる人間だから、このことは偶然ではないのかもしれない。
御柱が建つ日を「待って」、この世に生れ落ちてきたのだろうか???
もしそうだとしたら、いかにも自分らしいではないか。


そういう人間が、40代後半までずっと諏訪の神さまのことを無視し続けてきたのだから、それまでの人生で運が開けなかったのも無理はない。
その辺の事情は、『聖地巡礼ファイル』「#277・#278 山と水と蛇の神」(前編・後編)で書いている。

『古代の光通信

聖地巡礼ファイルといえば、昨日までの北九州聖地巡礼のことも、このシリーズで書くことに決めた。
それを決めたのは、ついさきほどだった。
朝目が覚めてから、寝床に置いていた本『古代の光通信』(横地勲)を読み返してみた。
この本では、神功皇后斉明天皇(=皇極天皇)をモデルにしているという説を出している。
そのことを前提とすると、いろんな謎が解けていくのだ。
「これだ!」と思った。


神功皇后斉明天皇説は、以前からも何人かの歴史家が唱えているようだ。
斉明天皇ですぐに思い浮かぶのは、「ペルシャ」であり、「ゾロアスター教」だ。
下記の記事で書いている。


『古代の光通信』を読むと、斉明天皇はヒボコ系であり、秦氏ともつながってくる。
そうなると、古代ペルシャ古代イスラエルの影も見えてくる。


今回の北九州巡礼では、神功皇后応神天皇、そして宇佐八幡の謎を解くてがかりがなく、お手上げ状態だった。
だが、この本によって光が射してきた。
聖地巡礼ファイル』では、そのへんを探究してみることにしたい。


『古代の光通信』は、福岡県の「のぶ工房」という小さな地方出版社が出している。
福岡の書店で何度か目にした。
私はそれ以前、だいぶ前にAmazonで購入していたが。
レイラインの謎を探究しようという人には、必読書といえるだろう。
ちなみに、「古代の光通信」とは、昼間は銅鏡を使って太陽光を反射させ、夜間は火を焚いて遠方と通信を行なう手段だった。


古代の光通信

古代の光通信




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