探求三昧 - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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探求三昧 by 百瀬直也




 

横浜聖地巡礼〜諏訪神社・横濱媽祖廟


先週3/16に、春分の日にどこか聖地巡礼へ行く必要があるかどうか、いつものように後ろについている存在にマップダウジングで伺うと、横浜へ行くようにと出た。
地図上で石川町駅あたりでペンデュラムが振れるので、見ると、駅から西へちょっと行ったところの石川町4丁目に、諏訪神社がある。
30をちょっと過ぎた頃の数ヶ月間、石川町から徒歩5分のワンルームマンションに住んでいたことがある。


元町から山手あたりを歩いていて、非常に気持ち良いものを感じて、ここに住みたいという気持ちが強くなったのだ。
この半生で、東京から離れて住んだのは、このときだけだった。


諏訪神社の次に行くところをダウジングで伺ってみると、そこから東へ行った山手のあたりに諏訪町の名前が見え、そのあたりで振れる。
よく見ると、そこにも諏訪神社があった。
3番目の巡礼の地は、中華街あたりと出た。
中国の神々を祀る関帝廟(かんていびょう)のことだろうと思った。


だが、翌日の朝日新聞の夕刊に、3月17日に横浜中華街に媽祖廟(まそびょう)が開廟したという記事があった。
「なぜ春分の日に横浜なのか」と考えてみたが、その理由を悟った。
関帝廟ではなくて、ここが今回の聖地巡礼の最終目的地だったようだ。


横浜媽祖廟については、ブログの下記の記事で書いている。
tankyu.hatenablog.com
 

元町を歩く

2006/03/21(火)春分の日、朝8:00頃に家を出る。
家族での聖地巡礼のはずだったが、2歳半の息子が熱を出してしまい、一人での巡礼に。
西武新宿線で高田馬場へ行き、山手線で渋谷へ。
8:50発の東急東横線急行・元町・中華街行きに滑り込む。


2004年に横浜みなとみらい線が開通してから、初めて利用することになる。
東横線が乗り入れ、渋谷から座って中華街まで行けるようになり、以前よりも楽になった。
ほとんどの乗客は横浜で降りて、車両内はガラガラになった。
中華街方面ではなく、元町方面への出口を出ると、そこは懐かしい元町の入口。
まだほとんどの店が開いていない元町商店街を歩く。
あと2時間もすれば、混雑するだろう。


以前に住んでいたのは、この元町通りから川の向こう岸あたり。
食品などの買い物はいつも元町のスーパーでしていた。
あれから20年弱の歳月が流れた。


元町商店街を出ると、元町交差点の向こう側に、懐かしいタワーレコードが見える。
場所は、私が住んでいた頃にオープンしたときのままだ。
さらにまっすぐ歩いて、石川町駅を過ぎて、さらに直進する。
地図を未ながら路地を入っていくと、諏訪神社の鳥居を見つけた。

諏訪神社(横浜市中区石川町4丁目)

石段を登ったところの狭い敷地の中に、社務所と小さな社殿がある。
山手へ通じる丘の中腹を背にして社殿が建っている。
社伝によれば、文明13年(1481)の創建という。
当初は諏訪山と呼ばれる高所に小祠があり、灯明を欠かさず、灯台としての役割を果たしていた。
http://www.kanagawa-jinja.com/mem/main/51.htm



山下町諏訪神社
(虹色の光は「不思議な写真」ではまったくなく、携帯のカメラ機能ではよく起きる現象)


御祭神は、もちろん建御名方命(たけみなかたのみこと)。
祭礼は8月第1土・日曜日で、全国各地の諏訪神社が新暦の7月27日か8月27日に祭を行うのと共通している。
こんなところに諏訪神社があったとは、ここから1キロほど離れた山下町に住んでいたときには、まったく知らなかった。
だが、私が住むところ、住むところ、近く(半径2キロ以内)に必ず諏訪神社があるという不思議な話がある。
詳細は、こちらのページで書いている。
tankyu.hatenablog.com


私が「こういうところに住んでみたい」と強く思うところには、近くに諏訪神社があることが多い。
たとえば上記ページのリストには入っていないが、以前に神奈川県の藤沢駅で降りる用事があって、町の雰囲気が気に入ったので「こういうところに住みたいな」と思ったものだった。
その藤沢駅から1キロほど北へ行ったところに、藤沢諏訪神社があることを知ったのは、ずっと後になってからのことだった。


私の守護霊(守護神?)は、数百年前に諏訪大社で神官を務めていた方だという。
その存在が、私が若かった頃から常に、諏訪神社があるところへ導こうとしていたのだろう。
この石川町の諏訪神社も、そのひとつだった。


だが、当時の私は、自分の先祖の地諏訪に鎮座する諏訪大社にはほとんど関心がなかった。
十数年前に兄弟そろって父の墓参りに行ったときにも、諏訪大社へお参りしなかった。
母に聞いてみると、子供の頃に父の田舎である上諏訪へ行ったときにも、諏訪大社へ行ったことはないのではないかという。


そんな人間が、あるカミンチュー(神人)に出会って、後ろについている「守護神」について教えてもらって、(おそらく生まれて初めて)諏訪大社へお参りしたのが、2003年6月のことだった。
それ以来、各地の諏訪神社に聖地巡礼するようになった。
先祖代々、諏訪大明神に守護されて、住むところも諏訪の神さまの恩恵によって決められているということなのか。
逆にいうと、近くに諏訪神社がない土地には住めないということなのだろうか。


社殿の前でお祈り。
近くに住んでいながら、今までここにたどり着けなかったことに対して、諏訪大明神にお詫びする。
そして、いつものように、「諏訪神社にお参りする方々、氏子の方々、およびこの地域一帯に住まわれる方々がすべて幸せになり、皆が成り立つ結果にお守りお導きください」と祈る。
そして、地震・津波などの自然災害の被害を最小限に食い止めてもらうための祈りも。
清浄な波動を感じる。
よく拝まれているように思う。


拝殿にあるおみくじを引くと、小吉が出た。
「他人のために尽くしなさい」とある。
望むところだ。


【地図】 map:x139.6394y35.4365
(地図が表示されたら左側の「+」をクリックすると拡大されます)

諏訪町諏訪神社(横浜市中区諏訪町)

山手への道を上っていく。
外国人居留地だったところで、外国人墓地などの横浜の観光名所がある。
1853年のペリーの来航により、1859年に横浜港が開港した。
それ以来、横浜には欧米の文化が流れ込んできた。


山手には、キリスト教の教会やフェリス女学院のようなミッション系の学校がある。
そのフェリス女子学院大学を通り過ぎて、更に道なりに東へ歩いていくと、外国人墓地が見えてくる。
その墓地を左に見て、右手に入ってちょっと歩くと、諏訪町に達する。
諏訪神社は、ブリキのおもちゃ博物館の裏手にある。


そこにあったのは、狭い敷地に建つ小さな祠だけ。
小高い丘の上に建ち、現在はマンションなどに阻まれて海への眺望は得られない。
だが、かつてはこの神社も灯台の役割を果たしていたのかもしれない。
さきほどと同じように祈る。



諏訪町諏訪神社


横浜という土地柄しかたないのかもしれないが、木の1本も植わってない神社とは、諏訪大明神さまがかわいそうだ。
神さまがいるのか、いないのか、私にはわからなかった。


【地図】 map:x139.6536y35.4383
(地図が表示されたら左側の「+」をクリックすると拡大されます)

横濱媽祖廟

外国人墓地に戻り、墓地を左に見ながら元町の方へ降りていく。
元町の入口に出て、川を渡って山下町へ。
横浜中華街の東南に建つ朱雀門を入り、南門シルクロードという通りを歩くと、左手の店に「媽祖廟コーナー」がある。
見てみたいが、媽祖廟参拝が先だ。
5日前に開廟したばかりの媽祖廟は、朱雀門から50mほど行った左手にあった。
みなとみらい線・元町中華街駅で下車した場合、3番出口を出て徒歩3分のところにある。
JR石川町駅からだと、徒歩10分ぐらい。



横浜媽祖廟の門。電線が邪魔して見えなくなっているが、「天后宮」と書かれている。


初めて見る媽祖廟は、想像していた以上に豪華絢爛な門構えだ。
中国人の住民などの寄付金により、総額18億円かけたという。
やはりお金持ちが多いのだろう。
今年2006年1月19日に、横濱媽祖廟の媽祖様ご神体の分霊式(開眼式)が行われたという。
1月に中国福建省の媽祖廟本山で分霊式を行ったそうだ。


門をくぐると、右手に「線香・金紙売り場」と書かれたところがある。
自動販売機で、9本500円の長い線香を買う。
出てきたチケットを、販売機の左手にいる人に示すと、ラミネートされたカードと線香を渡される。
実質的に、これを買うことが神殿への入場料のようだ。


神殿に入ろうとすると、女性に「カードを持っていますか?」と聞かれ、持っていないと入れない。
石段を登り、神殿の前へ。
神殿の前に線香を立てる大きな香呂があって、このへんは日本の密教系の寺に似ている。
線香にどうやって火をつけるのだろうと迷っていると、係のおじさんが神殿の右手入口前を指差し、あそこで火をつけますと教えてくれる。
神殿前に香呂が2つあり、石段を降りたところにもう1つある。
おじさんによると、「地の神さま、天の神さま、媽祖さま」へ3本づつ線香を供えると言っていたが、覚え違いかもしれない。


MIXIの「かみんちゅネットワーク」というコミュニティーでは、沖縄の神人(かみんちゅ)比嘉吉丸さんが、「春分の日の祈り」を呼びかけていた。
この日3回、日の出、南中時、日没に祈りを合わせましょうということだ。
そこで、東京の南中時刻にあたる11時48分に、媽祖廟で祈りを合わせることにした。
まだ時間があるので、神殿の中へ入ってみる。
中にいた女性に聞くと、神殿の中では写真を撮ってはいけないとのこと。
外からならばOKということで、賽銭箱がある外から媽祖さまの御神体を写すことはできる。
天井も含めて、神殿の中もかなり豪華なつくりだ。



神殿の外から撮った媽祖さまの御神体
(この当時は神殿内では撮影禁止だったが、現在では外から神殿の内部を撮影するのも禁止なので、ご注意を)


祭壇の背後に回ると、媽祖さまの御神体を1メートルと離れていない間近から拝むことができる。
両脇に立つのは、媽祖に付き従う神「千里眼」と「順風耳」だという。
しばらくそこに立っていると、なにか神気のようなものを感じる。
まるで御神体が生命をもっているかのように感じるのだ。
人によっては違った印象をもつかもしれず、中には「神さまがいるとは感じなかった」という人もいるかもしれない。


神殿の外には大勢の観光客たちがいるが、お金を出して神殿の中に入ろうという人は少ない。
おかげで、一人集中して祈ることができそうだ。
11時48分の数分前になり、祭壇の前に座って祈りを始める。
吉丸さんの指示通り、新しい生命の誕生、再生を祝い、豊かな恵みのありがたさに感謝する祈りを。
そして、世の平和と調和への願い、地震や津波などの自然災害、人災が起こらないようにという祈りを。


祭壇には、ちょうど日本の神社仏閣にあるようなおみくじの箱が置かれている。
そこにいた中国人の女性に、おみくじを引きたいというと、なぜか中国語で話し掛けてくる。
中華街在住の中国人と思われたのだろうか。
おみくじを引こうという日本人は少ないのだろうか。
おみくじの箱を持って回すように言われる。
そして、竹製のおみくじの棒の中から、1本を選んで取り出す。
9番だと言って、女性がもってきた小さな紙には、中国語だからよくわからない。
次に、2つの半月状のものを渡されて、祭壇の前に座って祈って、それを投げるように言う。
投げると、ひとつが表で、もうひとつが裏になった。
これもひとつの判断材料のようだ。


「何を知りたいんですか?」と聞かれたので、仕事のことと答える。
すると、今はあんまり良くないという答え。
あとで紙を見ると、「官事」のところに「不可破銭」と書かれていた。
他の欄も、「出外」「移居」「求財」「大命」など、ことごとく「不可」とか「難事」の文字が並ぶ。
2年ほど前から、いろんな人たちから「今は運勢が悪い」と言われてきたが、まだそれが続いているのだろうか。
「今を我慢すれば、だんだん良くなって行きますか?」と聞くと、その通りだという。
占い師だか何だかわからないが、ここにいる2人の女性が占いの判定をやっているようだ。
おみくじ代は200円だった。



神殿の前で


この媽祖廟は、既存の関帝廟と並んで、横浜中華街の新しい名所となるだろう。
そして、私が感じたことが正しければ、横浜の新しい聖地となるのだろうが。
媽祖廟を出て、断食はこれで終わり。
ところで、これを書いているさきほど、携帯で撮った写真を編集していて、2歳半の息子が媽祖廟を見て「ここいく」と言っていた。
なにか感じるものがあるのだろうか。
今回の横浜聖地巡礼では、思いもかけず、5日前に開廟されたばかりの媽祖廟が最後の目的地となったが、中国の海の女神に呼ばれていたのだろうか。
それとも、たまたまそうなったのか。
いずれにしても、開廟直後にお参りできてよかった。


ちなみに、上に書いた媽祖廟コーナーがある店は、中国の占いグッズやパワーストーンなどがあって、見ているだけでも楽しい。
媽祖廟の並びで、正門の左2〜30メートルのところにある。
店の前で、中国のおばさんが手相を見ているのが目印。


【地図】 map:x139.6478y35.442
(地図が表示されたら左側の「+」をクリックすると拡大されます)


媽祖廟サイト
横浜中華街-横浜媽祖廟
 

※私と同じ3月21日の朝に媽祖廟を訪れたチュプカさんが、MIXIで「媽祖と海の女神」というコミュ※媽祖廟でのお祈りの仕方とおみくじの引き方については、2回目に参拝したときの記事でも書いています。↓
tankyu.hatenablog.com


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