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探求三昧 by 百瀬直也




京浜工業地帯聖地巡礼


2008/06/28(土)
前夜にダウジングで伺ったところ、次の寺社へ聖地巡礼するようにとの指示。


祈りの目的は、以下の2つ。


これは、珍しい組み合わせだ。
宗派は違うが、密教の寺院が2つ入っていることも。
亡き人の供養だと、やはり仏教寺院なのだろうか。
それならば話は通る。
川崎大師以外は、みな初めてお参りするところ。
もっとも、目黒不動は学生の頃にお参りした記憶があるのだが。
厳島(いつくしま)神社は、棟方三女神を祀る大森の小さな神社。
大鳥神社と名がつく神社は、日本武尊ヤマトタケルノミコト)をお祀りした神社だ。
事前に調べたところ、その妃神である弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)さまも相殿神として祀られている。
川崎から始まって、目黒まで北上する巡礼なので、名づけて「京浜工業地帯聖地巡礼」だ。

川崎大師

朝9:00に家を出て、花小金井高田馬場→品川→京急川崎→川崎大師と電車を乗り継ぐ。
ちょっとズルをしてしまって、近道を行って正門でない門から入ってしまった。
本当は仲見世通りを回って正門から入ると、5分ほど余計に歩かなければならないのだ。
聖地巡礼では、神社仏閣の正門から入るべし」
ダウジングで伺わなくとも、答えはわかっている。
これからは、守るようにしなければ。


川崎大師は、2005年12月25日にスマトラ島地震の慰霊の祈りをして以来だ。
今回もまた四川省地震の慰霊の祈りが目的だが、何か特別な理由があるのだろうか。
以前の巡礼のことを書いた記事は、こちらにある。↓


川崎大師は、正式名称は金剛山金乗院平間寺という。
弘法大師さまをお祀りしているから、もちろん真言宗(智山派)の寺だ。
厄除け大師として有名で、全国初詣の人出ランキングでは、毎年全国ベスト3に入っている。


ちょっと脱線するが、今年2008年の初詣人出リストは以下の通り。

  1. 明治神宮(東京都)317万人
  2. 成田山新勝寺(千葉県)298万人
  3. 川崎大師(神奈川県)296万人
  4. 伏見稲荷大社京都府)269万人
  5. 鶴岡八幡宮(神奈川県)247万人
  6. 熱田神宮(愛知県)235万人
  7. 住吉大社大阪府)234万人
  8. 浅草寺(東京都)221万人
  9. 大宮氷川神社(埼玉県)203万人
  10. 太宰府天満宮(福岡県)202万人

2008年正月3が日の全国の主な神社・仏閣の人出(2008年1月8日警察庁まとめ)より


やっぱり大都市とそのベッドタウンに集中しているようだ。
毎年思うことは、伊勢神宮がベスト10に入っていないことが意外だということ。
だが考えてみれば、伊勢の神さまは庶民のご利益信仰とは別のところにあるということだろうか。


本堂では、太鼓がドンドンと景気よく鳴らされている。
ちょうど10:30のお護摩のご修行が始まったようだ。
1日6〜7回行われているらしい。
本堂には大勢の人々が座って、僧侶たちの読経を聴いている。
なぜか、手を合わせている人は少ない。^^


座っている人々に紛れ込んで、お祈りをすることに。
最初は、どの神社仏閣へ行ってもするいつもの祈り。
「顕界と霊界に霊的進化と調和が起こり、地球に仏の国ができ、宇宙全体が平和になりますように」
次に、「川崎大師にお参りされる方々および檀家の方々、そして地域一体に住む方々がすべて幸せになり、霊的成長ができ、皆が成り立つ結果にお導きください」とも。


チベット暴動および5月12日に発生した四川省地震で亡くなられた方々が苦しみの念から救われ、自分の逝去を悟り、成仏し霊的成長ができますように、そしてチベットに平和が戻り、地震から1日も早く復興しますように」と祈る。
眉間のチャクラに意識を集中する。
私の祈りは、いつも非常に長い。
ひとつの祈りで、5分とか10分とか、かかる。
宗教家や霊能者のような人々はもっと長く祈るかもしれないが。


自分の願い事を心の中で念じて、「はい終わり」ではいけないのだ。
そのへんがどうも、みんなわかっているのか、いないのか…。
祈りが通ったと思うところまで、続ける。
もちろん、長く祈れば良いというものでもないのだが。
祈りというのは、祈る対象に届かなければ意味がない。
また、霊感がある人々は、その祈りの結果を観じることも必要になってくる。
たとえば、もし神仏と対話ができる人ならば、語りかけられる言葉を聞くとか。
現れてきたイメージを読み取るとか。


次に、これから日本や世界で大きな地震などの自然災害が起きるようならば、大難を小難に替えていただき、不幸が出ませんように、とも祈る。
いつかしら、読経は終わっていた。
護摩供の申し込みをした人々は、お札か何かをもらって退席している。
祈りが終わり、目を開けると、座っているのは私一人になっていた。


本堂を出て、不動明王殿と経蔵でも祈る。
経蔵は、2年前の記事でも書いているが、中国最後の木版大蔵経である「乾隆版大蔵経」全7240冊が収蔵されている。
そして金色(こんじき)に輝く釈迦如来坐像。
ここでお祈りすると強い力を感じるのだが、尊いお経から出てくるものなのだろうか。


最後に、おみくじを引く。
すると、15番の「凶」が出た。
ガーン!
2005年12月25日の記録を見ると、そのときにも川崎大師で凶が出ていた。
地震で救われていない霊が、まだたくさんいると解釈すべきなのだろうか。
前回のスマトラ島沖地震の供養の際に凶が出たときには、ダウジングで伺ってみて、そういう答えだった。
祈祷系の寺では、凶が出る確率が高いと推測はできても、2回連続とは…。
それとも、何か私自身に原因があるのか。
もしそうだとしたら、思い当たる節は、無くもない。


私のノンフィクション作品群『聖地巡礼ファイル』の「#251 丹後にユダヤの痕跡を見る」で、弘法大師空海と真井御前(まないごぜん)との「ラブストーリー」などを書いた。
真井御前は、元伊勢・籠神社の娘だった女性だ。
もしかして、あれが弘法大師さまのお怒りを買っているのか?
それが自然な帰結だろうと思って書いたのだが。
男と女として愛をはぐくむことが。
真言密教では生(性)の歓びを否定していないし。


でも、この解釈は違うかな。
同じ「大師」でも、江の島大師ではこの正月に大吉をいただいているし。
いずれにしても、今日の巡礼の最初に凶が出たので、元気がなくなった。^^;

厳島神社

まあ、長くやっていればこういうこともあるということで、気を取り直して、次の巡礼先へ向かう。
川崎大師→京急川崎→(徒歩)→川崎→大森と電車を乗り継ぐ。
非常に小さな神社であることは、事前の調べでわかっている。
大森駅からGoogleマップの地図を見ながら、住宅地を歩いていく。
このへんは、お金がかかっていそうな住宅が並んでいる。
だが、駅前あたりはゴミゴミしていて、あまり印象はよくない。
坂が多く、上り下りが大変だ。


住宅が密集していて、大地震が起きたら、さぞかし大変なことになるだろうなと思いながら歩く。
「もしかしたら、これからは東京周辺のこういうところの巡礼が増えるかもしれないな…」
なんとなく、そんな気がする。
そうなるとしたら、「来るべき関東大震災の被害を最小限にとどめるために」ということだろうか。


大森駅から10分ほど歩いて、厳島神社に着く。
弁天池という池が公園のようになっている。
その池の浮島に、厳島神社がある。
だが、柵に囲まれていて、境内に入れない。
これも、事前に調査済み。
閉ざされた門の前で祈る。



池の名称からもわかるように、この神社はかつては弁天神社と呼ばれていた。
江島神社などもそうだが、かつて神仏習合の時代に、宗像三女神の「御本地」は弁才天とされ、同一視されていたのだ。
だが、本来はもちろん異なる神々だ。
宗像三女神は、福岡県の宗像大社に祀られている三柱の女神の総称だ。
この厳島神社も、御祭神が同じであれば、田心姫神(たごりひめ)、湍津姫神(たぎつひめ)、市杵島姫神(いちきしまひめ)が御祭神だということになる。
弁天さまの方は、いうまでもなく、もともとはインドのサラスヴァティーという女神だ。


境内に入れなかったせいもあって、祈ったときの印象というのは、あまりわからなかった。
アゲハチョウやトンボがとんでいて、池にはカメもいて、この辺に住む人々にとっては憩いの場なのだろう。
「大地震が起きたときには、この周辺に住む人々が被害から免れますように」とも祈っておいた。


目黒不動尊

大森駅へ戻り、京浜東北線→山手線と乗り継ぎ、目黒で降りる。
ちょっと道を間違えたりして、参道のところへ来ると、いろいろと露店が出ている。
あとで調べたところ、毎月8日、18日、28日が目黒不動尊の縁日で、特に28日が露店が出ていちばんにぎやかになるという。
それが土曜日と重なったものだから、かなりの人出だ。
やはりお年寄りが目立つが、家族連れや女子中高生のグループも少なくない。
聖地巡礼が、神社の祭礼やお寺の縁日と重なることは、すごく少ない。
いつも、参拝する人が少ない時を選んでいるかのように、孤独な巡礼が多い。


目黒駅から15分ほど歩いて、目黒不動尊に着く。
正式には、天台宗・泰叡山瀧泉寺というが、目黒不動の通称でよく知られている。
ご本尊は、もちろん不動明王
境内も露店や参拝者でいっぱいだ。
聖地巡礼ではいつも断食を通して慣れているので、おいしそうな食べ物の匂いでも平気だ。



寺伝によると、大同3年(808年)に慈覚大師円仁が下野国から比叡山に赴く途中で、不動明王を安置して開創したという。
だが、この縁起はどこまで史実を伝えているのか不明のようだ。
かなり古い寺院であることはたしかで、江戸時代には一般庶民の行楽地として親しまれたという。


本堂に入ると、ここでも縁日ということで、護摩供が行われていた。
ちょうど11:30の護摩の時間だったようだ。
太鼓や鈴が景気よく鳴らされ、僧侶たちの読経が響いている。
ここでは本殿に上がらずに、賽銭箱の前に立つ人々に混じって、手を合わせる。
川崎大師のときと同様に祈る。
こちらの方が、鳴り物に金物が入っているだけあって、かなり派手だ。


四川省地震で亡くなった人々の霊に意識を合わせるようにする。
15分ぐらい祈っただろうか。
護摩供はまだ続いているが、本堂を出る。


本堂の裏手に大日如来像があると張り紙があるので、行ってみる。
すると、本堂の裏の屋外に、大きな大日如来の像があった。
大日如来といえば、私の十二支の守り本尊だ。
ここでも手を合わせて、地震沈静の祈りなどをする。


おみくじを引くと、こんどは14番の末吉。
順位からすると、悪い順からいって、凶の次が末吉。
ま、まあ凶が2回続かなかっただけ良かったとするか。
「何事も進んですることはいけません」とある。
わるい運気が去るまで待ちなさいということらしい。
とすると、川崎大師の凶も、たんに運勢が良くないということなのかもしれない。

大鳥(おおとり)神社

目黒不動を出て、歩いて大鳥神社へ向かう。
同じ目黒区下目黒にある。
山手通りに出て、北へ道なりにまっすぐ5分ほど歩いたところの交差点の角に神社がある。
目黒駅からは、西へ800mほど歩いたところにある。


大鳥神社あるいは鷲(おおとり)神社は、東京に4社ほどあるようだ。
この社名は、日本武尊の白鳥伝説に関わるものだ。
目黒大鳥神社の御祭神は、以下の三柱の神々だ。


国常立尊は、日本の国開きにかかわる神だ。
ヤマトタケルさまとオトタチバナヒメさまは、我が家で走水神社のお札をお祀りしているご縁がある。
神社の由緒によると、景行天皇の御代に、ここに国常立尊を祀った社があったという。
日本武尊景行天皇の皇子であり、天皇の命令で熊襲を討ち、その後に東国の蝦夷を平定された。
この折に、この地に立寄られて、東夷を平定する祈願をされたとか。
社殿だから、どこまでが史実なのかは不明だが。


境内に入ると、茅の輪が置かれていた。
茅の輪くぐりは大祓(6月30日)のときの行事だが、今年はそれが月曜日にあたる。
ちなみに、古代イスラエル的観点からすると、この茅の輪は本来は「血の輪」だったのではないか。
ユダヤ教の過ぎ越しの祭りでは、家の戸口の三辺に、生贄の羊の血を塗る慣わしがあった。
つまり戸口で血で輪を描く「血の輪」から、「茅の輪をくぐる」風習が代用としてできていったのではないか、と。
日本神道では、血のケガレを嫌うから?
沖縄では「シマクサラシ」などと呼ばれるユダヤ教に類似した風習が残っているのに、本土ではそういう風習があった痕跡がないのだが…。
あくまでもひとつの可能性(妄想?)としてだが。


お祈りを始めるが、広い通りが交差する交差点の角地なので、車が走る音は半端ではない。
祈りに集中するのが難しい。
もっと敷地が広くて緑に囲まれていたならば、少しは違うのだろうが。
これでは、鎮座する神さまも可哀想だなと思いながら祈っていた。
「神さまが平安に鎮座できる環境になりますように」とも祈っておいた。
祈っていて、ちょっとノドの調子がおかしくなった気がしたが、何か「訴え」があるのだろうか。


お祈りが終わり、自動販売機式のおみくじを引く。
出てきたのは、43番の「大吉」
やった!リベンジだ。(←単純)
このおみくじは200円だったが、「ラッキーシール」なるものが添付されている。
小人だかなんだかの絵が描かれていて、何がラッキーなんだかよくわからない。
「開運アドバイス」には「あちこちに手を広げず今は一つのことに集中することが大切です」とある。
これは、神さまからのメッセージかもしれない。


というわけで、大吉で有終の美を飾って、一応めでたしだ。
これが逆だったら、つまり大吉で始まって凶で終わったら、ちょっと救われないかも。
いままでの巡礼で、そういうことはなかったと思う。
今日の巡礼の最後が大鳥神社というのは、いちばん最後の巡礼先だから「おおとり」とか、そういう落ちじゃないだろうな。まさか。^^


今日の巡礼で、グッタリ疲れた。
それだけ逝去者の供養というのはエネルギーを消耗するのだろうか。
ところで、Excel聖地巡礼記録をつけていて、1995年以降の聖地巡礼した場所の数が、300に達した。
もっとも、2003年から2006年の期間はまだ入力していないので、もっと増えることになる。
生きてるうちに、1000件突破できるかな。
それを、ひとつの目標としようか。

追記

あとで調べてみたら、この日6/29は、5/12に四川省地震が発生してから48日目に当たる日だった。
49日を迎える直前に供養をさせられたというわけか。


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