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探求三昧 by 百瀬直也




【大地震】南海トラフ巨大地震から制定の「世界津波の日」に過去の大津波を振り返る~百瀬の「津波のヴィジョン」


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あす11月5日は「世界津波の日」だが、なぜこの日なのかはあまり知られていない。
小泉八雲が小説にした「稲むらの火」という津波に関する逸話ならば知っている人がいるかもしれないが、安政南海地震の実話に基づいた日なのだ。
また、世界津波の日を前に、どうすれば津波の被害を最小限に抑えることができるかも考え、また今年私が視た「津波のヴィジョン」も紹介する。



明日は世界津波の日

明日11月5日は「世界津波の日」。
日本では「津波防災の日」ともいう。

これは、2015年12月の国連総会本会議で採択されて、2016年から適用されたもの。

「稲むらの火」という有名なエピソードがある。
1854年に南海トラフで起きたM8を超える安政南海地震で、和歌山県を大津波が襲った。
その際に、濱口梧陵(はまぐち ごりょう)という人物が、収穫したばかりの稲わらに火をつけて、暗闇で逃げ遅れた村人を救った。
世界津波の日は、その「稲むらの火」の逸話から制定されたものだ。

だが、その話に元となった安政南海地震(南海トラフ巨大地震)は1854年12月24日に起きたはずで、クリスマスイブに起きたと私は覚えていたのに、なぜ11月5日?
そう思って南海地震の発生日付を確認すると、嘉永7年11月5日だった。

つまり、なぜかグレゴリオ暦の12月24日ではなく、旧暦の11月5日が制定されたのだ。
穿った見方をすれば、クリスマスイブの日と重なるのはマズイと、キリスト教圏から反対があった?

「稲むらの火」

「稲むらの火」は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が英語による小説の題材とした。
地震の後に訪れる津波への警戒と早期避難の重要性、そして人命を助けるための犠牲的精神を教える好材料として、戦前に尋常小学校5年生用の国語の教科書に掲載されたこともある。

この逸話のモデルとなったのが、紀伊国広村(現在の和歌山県有田郡広川町)に住む濱口梧陵氏だった。
小泉八雲の小説は、誤解により史実とは異なる部分があるという。

事実は、こうだ。
濱口氏は、1820年7月24日生まれというから、地震発生当時は34歳くらいだった。
1854年12月24日の16時頃、安政南海地震が起きたときに、まもなく津波に襲われた。

紀伊国広村は、紀伊半島の西端の和歌山湾沿いにある。
濱口氏がいたところの正確な位置は不明だが、現在は「稲むらの火の館」という記念館のようなものが建っていて、そこは地図上では海から500mにも満たない地点だ。

「稲むらの火」で多くの村人の命が助かった

濱口氏は、波に呑まれそうになりながらも村人たちに「逃げろ!丘に上がれ!津波が来たぞ!」と必死に叫んだ。
そして、自分の畑にあった藁の山に火をつけて、高台にある広八幡神社への避難路を示す灯りとして、多くの村人たちを誘導することができた。

濱口氏は、破損した橋を修理したりと復旧に努めた。
また、当時では最大級の堤防を約4年かけて修造した。
広村の復興と防災に投じた莫大な費用は、全て濱口氏が私財を投じたものだった。

小泉八雲は、小説中で濱口氏を「A Living God」(生ける神)と称賛した。

津波伝承碑を疎かにする土地は津波でやられる

このような逸話が伝わっている土地では、津波からの防災に努めて甚大な被害から免れる人も多く出てくるのではないか。
だが、その一方では、日本では津波碑を建てても、年月が経つとその存在自体が忘れ去られ風化するところもある。

津波による被害は、地域によっては数百年や千年に一度くらいしか発生せず、忘れ去られても仕方ない面もある。
それでも、地元の人々が災害の記憶を長く残そうと努力することにより、風化を免れるところもあるだろう。

今日のハザードラボのニュースでも紹介されているが、国土地理院が今年6月にWeb上で公開した「自然災害伝承碑」地図というのがある。

地元の津波伝承碑に足を向けることが大切

下記がその国土地理院の「自然災害伝承碑」への入口だ。
津波伝承碑だけでなく、全国に建立されている自然災害を伝える記念碑の情報を公開している。


このマップを見ると、順次情報が追加されているが、津波だけではないものの、現時点でも370カ所以上の伝承碑がある。
このうち「津波」だけを選択して絞っても、下記の図くらいの数がある。

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正確に数えている余裕はないが、現在登録されているものだけでも、ざっと見て40~50カ所ぐらいはある。

前述のハザードラボ・ニュースでも薦めているが、自分が住む地元に伝承碑がある方は、この地図を見て終わりではなく、実際にその伝承碑を訪れてみることが重要だろう。
そうして現地の環境を観察することによって、「どうすれば助かるのか」についてのヒントも得られるかもしれない。

津波からのサバイバルのために行うべきこと

津波発生時の人的被害は、津波の高さが最小でも水深30cm程度で発生する。
1mになると、ほぼ生存の可能性がなくなる。

お年寄りや小さな子供が大地震による津波襲来で即座に避難できないところには、基本的に住んではいけない。
車があるからといっても、渋滞などで車ごと呑み込まれて犠牲になるケースが多い。
3.11の時もそうだが、車をあてにしすぎることによって、却って命を落としてしまうことも多い。

また、「自分たちのの土地には立派な防潮堤があるから」といった過剰な安心が却って油断を招いて犠牲になるという例も、この国では後を絶たない。

素人考えは禁物

自分や先祖の過去の経験によって判断することは賢明と思われがちだが、じつはそうではない。
たとえば、「過去にはここまで津波が来たことはないから」と考えても、実際はずっと過去の忘れ去られた時代あるいは歴史的にはっきりわかっていない時代に津波に襲われたことがあるかもしれない。

さらに言えば、実際に過去にその土地に津波に襲われたことがなかったのが真実だとしても、これからも同様になるという考えは、またまた愚かな「想定外」を生み出すだけだったりする。

海から何キロ離れた陸地ならば大丈夫という保証は、誰もできない。
また、海からかなり離れていても、川の遡上による津波被害もあり得る。

要は、「素人考えは禁物!」ということだ。

「嫌なことはすぐに忘れよう」、「『縁起でもない』ことは考えまい」
日本人の心の特性として、そういう考え方をする人が多い。
だが、言い方は悪いが、「臭いものには蓋を」的なものの考えが「災害」にまで持ち込まれるならば、ちょっと待ったと言いたくなるのだ。

津波のヴィジョン再び

今日の記事を書くために、過去記事を検索していて、イヤなことを思い出してしまった。
今年に入ってから、人生3度目の「津波のヴィジョン」を視たことだ。

過去に遡ると、まず一度目は、13年前の2006/04/12の朝、寝床でまどろんでいた時に、ほんの一瞬、津波の光景が見えた。


その5年後に、そのヴィジョンは東日本大震災の大津波として現実のものになってしまった。

いつものように、信じる・信じないはご自由に。
だが、自分的には、2005年9月~2006年4月の8ヶ月間ほどで、千葉・茨城・福島の海沿いの聖地を何度も巡礼させられたが、それが終わった時点でのヴィジョンだっただけに、東日本大震災の津波との関係以外に考えられないのだ。

人生で二番目は、2014年12月9日にも、寝入りばなに、津波で水が流れていくヴィジョンを視た。
これに対応する津波としては、2015年9月17日 - 南米チリ中部沖の地震(M8.3)で久慈港で最大波80cmを観測した津波か、または2015年11月14日に薩摩半島西方沖M7.1の地震で、中之島で起きた高さ30cmの津波のことか。
あるいは、まだ起きていない津波ということも、あり得るかもしれない。

3度目の津波のヴィジョン

そして今年3月6日の早朝、また津波のヴィジョンを視てしまった。

https://www.instagram.com/p/BupJALal8HR/
【ヴィジョン】3/6 6:30頃、寝床でまどろんでいて見えた。自分が東京のようなビル街の通りにいて、自分の身長より高い大波(津波?)に呑まれる光景。3.11の前にも見ていた。#ビジョン #ヴィジョン #地震 #津波 #予知夢 #LINE2 #津波のビジョン

3.11の8周年の日を5日前にして、何かしら潜在意識にあったものが夢として現れた可能性を否定はできない。
また、津波ではなく、高波なのかもしれない。

もし将来、現実になるとすれば、東京かまたは同様の都会かもしれない。
もちろん、外れるのが一番良いが。

※いままで『神秘三昧Web』にあった『【資料】百瀬直也のヴィジョン・幻聴・予知夢~現実になったものは結果を追記』を下記の探求三昧Web上のページに移設しました。


【参考】


安心防災ベッド枠A

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