私とインドネシアという国の関係の中で、なぜか「27」という数字が付きまとう。
それを以下に簡単に紹介する。
■「27」の数字
●百瀬が過去に知り合ったインドネシア人の女性2人が、同じ7月27日生まれだった。
(そのうちの一人は、インドネシア人ならば誰でも知っている著名人)
●1993年1月20日にHotel Bali Beachの火災で焼け残った部屋が327号室。
(故スカルノ大統領が愛用したスイートで、その後ラトゥ・キドゥル様に与えられた)
●百瀬が仕事のために初めてインドネシアの地を踏んだのが、1994年9月27日だった。
●【2025/05/25追記】百瀬の父方先祖の氏神である長野県諏訪の諏訪大社の御射山社で行なわれる御射山祭は8月27日(元々は旧暦7月27日に行った)の日。
●【2025/05/25追記】百瀬の2人目の子供・愛弥美が2月27日に生まれた。
●【2025/05/25追記】百瀬が以前から探求してメディアで紹介してきたブルガリアの世界最高級の超能力者、ベラ・コチェフスカさんが1945年7月27日に生まれていた。(2011/02/11逝去)
■インドネシア?女神関連?
●1999年7月27日(火)
例のバリ島の「バリビーチの怪」の主人公であるマンクゥ(民間僧侶)が建てた、ルンプゥヤンのメディテイションセンターの開陳式が行なわれた日。
(前述の二人の女性の誕生日)
かつて百瀬とジャワ・バリを旅したDIVYAさんは、この日にカリフォルニアの聖地シャスター山に登った。
(DIVYAさんは南海の女王さまを降ろすことができる人で、『女神の華』というノンフィクション作品で書いている)
●ジョグジャカルタ王宮から女神さまの宮殿があるというパラントゥリティスまでの距離は27キロ。⇒これは偶然かもしれない。
こうしてみると、27は南海の女王さまに関係した数なのだろうか?
また、インドネシアの歴史を振り返ると、やはり27という数字が付きまとう。
そのいくつかを紹介する。
●インドネシア独立時の州の数が27だった。
●1949年12月27日、インドネシアの独立が世界に認知された。
●1968年3月27日に、スハルトがインドネシア共和国大統領に就任した。
→詳細はTOCANA記事『数字「27」には驚異的パワーが秘められている!?インドネシアと日本の“謎のつながり”で判明、土地にまつわる戦慄の法則』(2024/10/18)に。
tocana.jp
●1996年7月27日、メガワティ支持者らが党大会の無効を訴え、大会後も中央ジャカルタの党本部を占拠していたが、7月27日早朝に新総裁派が本部を急襲して奪回。その後ジャカルタ中に暴動の火が広がった(7月27日事件)。
こうしてみると、27は故スカルノ元大統領に関係している数なのだろうか?
私はあまり数秘学的なことには関心がない。
これらすべては、シンクロニシティというか、たまたまこういう数字が並んだだけなのかもしれないが。
いまだに解釈できないでいる。
■ジャワの神秘思想
ちなみに、神秘的なことを重んじるジャワ人たちの多くは、このような数字の一致を重視する。
故スカルノ大統領も、そういう神秘的なことを愛する人だった。
かつて夫人だったデヴィ夫人は、そのへんのことをよくご存知だと思う。
神秘的といえば、中部ジャワのクラトン(王宮)も、じつはレイラインの法則によって立地を決めている。
ジョグジャカルタやスラカルタ(ソロ)のクラトンも、「たまたま」あの場所が選ばれたわけではない。
ムラピ山やラウゥ山のような聖なる山や、南海の女王の本拠地であるパラントゥリティスも基準にして、正確に決められているのだ。
古代日本にあったイヤシロチや方位線と同様の概念が、古代のジャワにもあったようだ。
これについては、いずれどこかの機会で書くことにしたい。
