3.11の津波で不明だった岩手県の6歳女児が、遺骨として発見され、DNA検査の末に身元が判明し、母のもとに戻ったが、このような土地に住むリスクなどについて考えてみたい。
■捺星(なつせ)ちゃん
東日本大震災から、あと5ヵ月ほどで15年になる。
そんな中、2023年3月に宮城県南三陸町で発見された遺骨が、大震災後に行方不明になっていた岩手県の女児(当時6歳)のものだとわかった。
岩手県山田町の山根捺星(なつせ)ちゃんは、2011/03/11の大震災発生当時、祖母と2人で自宅にいた。
母親は、当時仕事へ行っていたらしい。
大震災から12年経った2023年2月、南三陸町の建設会社が、歩道橋の補修の際に行った分別作業で、下あごの骨の一部が見つかった。
警察がDNA鑑定などを行い、捺星ちゃんのものだと判明した。
■母の話
母の千弓さんは、複雑な心境を語る。
「うれしいです、やっぱりね。見つからないって諦めていたので、まさかの連絡でうれしい気持ちと、連絡が来たあと、ニュースでやっているのを見て、ちょっと寂しくなりつつもあります」
「(捺星は)6歳で、4月から小学校に入学する予定でした。ちょっと自閉症があって、町でやっている障がいの子どもたちを集めた教室が月1回あるんですけれど、その教室の最後の日だったんです。それで卒業証書みたいなものをもらいに午前中行った」
「午後は私は仕事に行って、保育所を休ませたので、おばあちゃんと捺星だけ家にいたんです。
その後、地震が来て…津波が来て。ちょっと逃げ遅れたっていうか…。
まさかここ(家)まで津波が来るっていう頭も多分なかったのかもしれないですよね、おばあちゃんからすれば。
でもおばあちゃんは、自力でどうにか流れてきたものに捕まって、後から駆けつけた旦那とおじいさんに助けられて」
高齢の祖母のため、的確な判断ができなかったのか。
メディアで十分な情報を得ていれば、どこか別の場所へ避難する選択肢もあったかもしれないが、祖母の体が不自由であれば、それも叶わなかっただろう。
■母の話
この件は、複数のTV番組で見たが、その一つで、捺星(なつせ)ちゃんが「ママ行かないでー」と泣いていたという。
これが毎日の出来事ではなかったとすれば、捺星ちゃんの魂が6センス的に何かしら危機を察知して、母に訴えたかったのかもしれない。
だが、今となってはそれを確かめるすべはない。
高齢の祖母と6歳の女の子だけで家にいて、あのような壮絶な津波に襲われれば、二人だけで避難することは非常に難しいだろう。
ある番組では、捺星ちゃんが津波を恐れて、戸外へ避難することを嫌がったと言っていた。
ASD的な子で言葉もままならないということで、ともに避難することは益々困難だっただろう。
■津波の教訓
岩手県山田町を襲った津波は、東日本大震災の際、波高約19mに達し、町を壊滅的な被害に陥れた。
湾の形状によって津波の威力が集中し、防潮堤を越えて多くの住宅が流され、町は瓦礫の山と化した。
第1波の津波が比較的低く、防潮堤で跳ね返されたこともあり、住民が油断した一因となったようだ。
山田湾は湾口が狭く、普段は穏やかであることから、住民は「津波に強い」という固定観念を持っていたという。
下記のマップは、大震災発生時に到達した津波の高さを示す。
最高で3m+となっているが、前述のように、実際は山田町は19mほどの高さの津波に襲われたという。
■長年の経験から…
これまで50年以上、「見えない世界」の研究を続けてきて、ある程度わかっていることがある。
捺星ちゃんのように、不慮の事故でこの世を去った子供は、またすぐに戻って来れる「チャンス」を与えられることが多いということ。
このことを、お母さんに伝えてあげたい。
母の千弓さん(49)に、連絡できる術があるだろうか。
だが、それ以前に、このように突如として終わりの時が訪れた際には、本人が既にあの世に還ったことを把握していないケースも、よくある。
2年前にこの世を去った私の母についても可能性があり、ある見える人から言われて、そのような行動をとった覚えがある。
※津波から生き残った人々の貴重な証言記録。
つたない文章が読み物として問題あると書いている人がいるが、それよりも内容の貴重さに目を向けるべき。
【Amazon】『津波からの生還 東日本大震災・石巻地方100人の証言』
14周年の象牙婚式で、二人で立川のイタリア料理店で食事した。