今日は15年前に東北地方太平洋沖地震が起きた日の翌日であり、特集の第4弾として、津波から命を守るために、車で避難など、絶対にやってはいけない行動を確認する。
■防災教育の賜物
昨日の3.11関連のニュース記事で、特に目を引いたのは、「津波からの避難」に関することだった。
YouTubeで、「迫る津波からの避難 "てんでんこ"が救った命 あの日の中学生が語る教訓」と題した動画が目に留まった。
岩手県釜石市では、M9.0の大きな揺れの後で、中学生たちが「津波が絶対に来る」と確信して、避難指示を待たずに避難を始めた。
釜石市立釜石東中学校と、鵜住居(うのすまい)小学校では、ほとんどの子供たちが津波から助かった。
それは、震災前から行っていた防災教育のおかげだった。
小中合同での避難訓練では、中学生が小さな小学生をおんぶしたり、台車に乗せて避難するよう教わっていた。
津波が遡上する時速36kmの速度を想定して、その速度で走る車と競争することも行った。
このように、防災を「自分事に」考えることを徹底して教えられた。
そのYouTube動画を埋め込んでおく。
■人口の6割を失った
釜石市立釜石東中学校の位置をGoogleマップで見ると、細い入り江から500mほどの海辺にあり、山のふもとに建っている。
海抜2mほどの低地だった。
岩手県の津波による犠牲者は18,158人、流出倒壊家屋6,882戸だった。
特に被害が大きかった釜石町(当時)では、人口約6,500人のうち4,000人以上が津波などの犠牲となった。
町民の60%ほどの人口が一瞬で失われたことになる。
■「てんでんこ」で助かった
建物戸数約1,100戸のうちの約900戸が流出全壊した。
震災後に行われた調査でも、約7割の人が依然として車での避難を選択している現実がある。
震災当日、石巻市で激しい渋滞に巻き込まれた草島真人さんは、変わり果てた街の光景を鮮明に覚えている。
信号機は倒れかけていて、信号は全部消えていた。
車を運転していて、強い揺れに襲われた。
避難所で使うものを取りに、海から80mほどの自宅に戻ろうとしていた。
そこで見たのは、堤防を遥かに超える高さで迫り来る津波だった。
高台へ向かう道は、渋滞で車が動かず。
草島さんは「車を捨てる」判断をし、走って逃げた。
直後、背後では多くの車が濁流に呑み込まれていった。
津波から逃げているはずなのに、突然近くの家が爆発して。
水しぶきで家がどんどん消えていく。
辺り一体そうなっていた。
何かがちょっと違っていたら、自分が同じくなっていただろう。
それでも、なぜ車での避難が減らないのか?
下記の毎日新聞の、『津波避難の「落とし穴」 行政システムの壁、交通渋滞で足止めも』という記事が参考になる。
■AIに聞いた
GeminiのAIに、こう聞いてみた。
東日本大震災で車で避難して渋滞などで被災した人々はどのくらいいる?
【Google Gemini】
東日本大震災では、避難手段の約7割が車で、そのうち約4割が渋滞に巻き込まれ、車列ごと津波に巻き込まれる等の甚大な被害を受けました。宮城県内では車内で亡くなったとみられるのが少なくとも575体(調査時点)見つかっており、車での避難中に被災した人々は相当数に上ります。
■津波てんでんこ
以前に、3.11の津波発生時の動画だったと思うが、こういう光景があった。
津波から高台へ向かって避難している人々の中で、年配の女性が後ろを振り向き振り向き足早に歩いていた。
察するところ、家族がまだ家にいるかもしれないなどと考えながら歩いていたのだろう。
「津波 共連れ」
津波の避難行動において、家族や知人を助けようとしたり、一緒に逃げようとしたりする結果、逃げ遅れて全員が巻き込まれてしまう悲劇を指す言葉。
東日本大震災の教訓から、この惨状を防ぐために「津波てんでんこ」という教えが重要視されるようになった。。
主に岩手県を中心とした東北地方の三陸沿岸に古くから伝わる言い伝え。
津波が来たら、家族や周囲の状況を気にせず、「てんでんこ」つまりてんでんバラバラに、1秒でも早く高台へ逃げろ、という教訓から生まれた言葉だ。
秋田県の明菜さんも、ブログやnoteマガジンで、繰り返しこのような表現を用いている。
身内を失った悲しい記憶から来るものなのだろう。
釜石市立釜石東中学校と小学校では、日頃の防災訓練の結果として、津波生還率は99.8%だった。
つまり、殆どの子供たちが、訓練の賜物として、助かった。
日本人は、このことを「未来への遺産」として語りつがなければならない。
![]() |
※とにかく、お利口ちゃん過ぎ。





