今日9月1日は「防災の日」。
1960年に、内閣の閣議了解により制定された。
今日から100年前、1923年9月1日に発生した「関東大震災」にちなんで決められた。
今日で100年ということで、関東大震災で起きて、首都直下地震でも再度起きるかもしれないことをまとめてみる。
■巨大都市化
関東大震災が発生する前の、大正時代の東京府の人口は約370万人だった。
それが現在は約3.5倍の1400万人を超える大都市となった。
現代の首都東京は、さまざまなインフラ、鉄道など交通網、コンピューターシステムなどが蜘蛛の巣のように張り巡らされ、100年前には想像ができなかったほど複雑な大都市となった。
このような状況下で、M7超の大地震が首都圏で発生した場合に、どのような被害が発生するかを正確に把握している人物は、ほとんど存在しないのではないか。
東日本大震災を経て、われわれ日本人が決して忘れてはならないのは、「大震災はまだ終わっていない」という認識だ。
大震災の影響は、余震だけで少なくとも10年続くという学者もいれば、長期的に見て100年間は続くという主張もある。
貞観地震や慶長大地震の時のように、3.11を始まりとして、「平成大災害シリーズ」ともいえる大地震や火山噴火が相次いで起きる時代に突入したといえるかもしれない。
■1:液状化現象で建物倒壊
特に東京都23区東側の海抜0メートル地帯などでは「環境考古学」など様々な観点から見て、非常にリスクが高い。
23区の下町のほとんどは縄文時代に海の底だったため、地盤が非常に弱い。
そのため、液状化現象で特に中層ビルの倒壊も起こり得る。
また木造住宅の多くは全壊の危険性がある。
このような巨大地震が発生すると、特に首都圏に多く存在する埋立地では大きなリスクがある。
それが東日本大震災で現実になってしまったのが、千葉県浦安市だ。
3.11の震源から300km以上離れていても、ひどい液状化現象で甚大な被害が出た。
舗装道路は凸凹になり、下水道のマンホールが隆起した場面を伝えるテレビ映像は衝撃的だった。
私は大震災発生から1カ月ほど経った2011年4月に浦安市を訪れ、被害状況を調査した。
その状況を動画にまとめてYouTubeに投稿してあるので、興味ある方は見てください。
この時点でも、地下から吹き出した砂がそのままに残っていたりした場所もある。
地震でズレたり剥がれたりした歩道の敷石が、まだ脇に積み重ねられていたりもした。
■2:住宅密集地域の火災
関東大震災では、ちょうど台風が日本海沿岸を北上中だったため、強い風により多くの火災が発生した。
そして特に住宅密集地域で多くの犠牲者が出たが、この点では現在は更に住宅が異常に密集している地域が多く、大地震に伴う火災が各地で発生した場合も脅威となり得る。
この大震災では190万人が被災し、10万人を超える犠牲者・行方不明者が出た。
そのほとんどは東京府と神奈川県だった。
現在の都の人口が3.5倍だからといって、単純に3.5倍すれば済むとは行かないかもしれない。
その点、政府の被害想定は、抑えてる感あるあるだと感じる。
現在の東京は、歴史上類のない住宅密集地域となっている。
その点だけ見ても、想像を絶する大惨事が待ち受けていることが推測される。
これが現在の東京の最大の弱点とも言われている。
政府の地震調査研究推進本部が想定するM7級の地震の発生では、最悪の場合で首都圏全体で2万3千人の犠牲者が出るといい、その7割ほどが火災による犠牲者と想定されていた。
その後、この想定は見直されて、より少なくなっている。
関東大震災では東京府で7万人以上の犠牲者・行方不明者が出たが、うち9割以上が火災によるものだったことを考えれば、上記の被害想定はあまりにも低すぎる見積もりだ。
■3:火災旋風
関東大震災の際には、通常の火災だけでなく、火災旋風という恐ろしい現象も発生した。
都市部で広範囲にわたり、地震や空襲などによって炎を伴う旋風が発生する現象だ。
火災旋風の温度は1000度を超えるといわれ、竜巻に似たような外観になることもあるという。
局地的な上昇気流が発生し、それが炎を伴う旋風となり、これが空気のある方へと移動することによって、被害が拡大していく。
関東大震災でも、たとえば本所の陸軍被服廠跡地の広場では、3万人以上の人々が避難に押し寄せた。
その後に火災旋風が発生し、避難者が運び込んだ荷物などに飛び火して延焼し、四方から襲った火で逃げ場がなかった。
人々の衣服や髪の毛に燃え移り、まるで生き地獄のようだったという。
そこでの犠牲者は3万8千人に上り、生存者はわずかに200名ほどにすぎなかった。
首都直下地震でも条件次第では同様の現象が起こり得るが、1979年に東京都防災会議がまとめた報告書では、特に火災旋風の危険性が高い地域として7ヶ所が挙げられていた。
それは、やはり世田谷区、中野区、新宿区、杉並区といった住宅密集地の公園などが多く、100年前と同様に多くの人々が避難している状態で火災旋風が起これば、四方を炎で囲まれ逃げ場を失って大半が犠牲になる可能性が考えられるだろう。
■4:首都高の大半は倒壊
1995年の阪神・淡路大震災では、高速道路の倒壊が大震災の惨状を象徴的に示していた。
首都圏では、こんなものでは済まないだろうと誰もが思うだろうが、内閣府発表の被害想定では、首都地域内の高速道路は阪神・淡路以降に耐震補強が進んでいるために、大被害の発生は想定していないというのだ。
これは、私が知っている限りの現実とは、かなりかけ離れたものだ。
たとえば、ある建設関係のエンジニアに聞いたところ、現在の首都高速の大半は昔は川だったところなど軟弱な地盤の上に建てられていて、大地震によって倒壊する恐れがあるところが多いという。
また、首都高の高架自体が倒壊しなかったとしても、別の危険性が残されている。
災害危機管理アドバイザーの和田隆昌氏は、こう語る。
「古いビルが首都高へ向かって倒れてくれば、首都高もろとも崩れてしまう。走っている車を直撃する可能性もある。地上を走る電車も同様です」
そうなれば、首都高を走行中の車は絶望的だろう。
【(2)へ続く】
※私が愛用するモバイルバッテリーは20000mAhだが、これは33800mAhもある。
これからの時代、防災用も兼ねてこのくらいの容量が必要か。